15話)



 ゆらゆら、街をさまよっていると、息を切らせて茉莉を見つけたメイドの一人が、肩を叩く。
「やっと見つけました。奥様。」
 野暮ったいメガネをかけた彼女は、歩の手が付いていないメイドの一人だった。
「あなたの身分証明書を貸して頂戴。」
 気付くと茉莉は、彼女にそんな事を言っていた。
 内気な彼女から、運転免許証を受け取ると、彼女名義で賃貸マンションを借りさせていた。保証人は、もちろん茉莉本人だ。
 偶然にも下の名が、字は違うものの、読みが同じなのも、なんだか運命的なものを感じたのだった。
 茉莉は、メイドの了承のもと、里中真理として住み始める。
 河田家の妻としての責務を果たしながら・・・。


 
 賃貸のマンションを借りた茉莉は、家具やら日用品を、買い求めに走る日々が始まるのだが、そこでのちょっとした決まり事を作ってみようと思い立つ。
 里中真理本人から、一か月どのくらい手当をもらっているのかを聞き出した。
 税抜きで14万円あまりと耳にして、あまりの少なさにビックリする茉莉だったのだが、
「奥様。みなそんなものですよ。」
 と説明されて、妙な所で“世間知らず”を露呈してしまったのだが仕方がない。
 里中真理として暮らす以上は、収入以上の生活をするわけにはいかなかった。
 けれど、家賃だけで10万以上の所をかりている上に、光熱費や駐車場合わせて軽く14万は超えてしまっているのに気付いた時。
 苦肉の策というか、無理からというか・・・。
 里中真理には夫がいるが、地方に単身赴任で家にいない。という設定を、付け加えてみようと思った。
 もともとが“やけくそ”で借りたマンションだったのだ。
 これで、わざわざ転居する必要がなくなった茉莉は、さらに様々なものを買い求めてゆくのだが・・・。
 夫がいるからには、皿や茶碗など、ペアな物が必要となってくる。
 服も極端に少ないが、男性物も買ってみたりした。
 ダブルベットを購入する時は、さすがに照れたりしたが、少しずつ揃ってゆく品物を目にした時、とても幸せな気持ちになったのはなぜだろうか。
 部屋の中を汗だくになって掃除し、鏡に気の抜けた顔をさらした瞬間。
 この顔こそが“素”の自分の顔なのだと実感した。
(本当の私なんて、こんなものなのよ。良家の娘なんて柄じゃないのだから・・。)
 里中真理としての生活は、茉莉にとってガス抜きの役目を負ってくれたのかもしれない。
 そこでエネルギーを蓄えた茉莉は、なんとか河田邸での辛い生活を送る事が出来るようになれるのだった。
 この結婚が、政治的なものである以上。個人的にイヤな事があるからと言って、茉莉の方から“離婚”のカードをチラつかせるのが出来ないのである。
 里中真理になる楽しみがあるから、河田茉莉の生活を送るという、まるで主客逆転の生活を始めて一か月余りがたち・・・。